« 生きている水 | トップページ | 新しい時代 »

2008年9月 6日 (土)

目標の一致

 子どもを援助できるためには子どもとの関係がよくなければならないということを見てきました。前回、子どもとどうすれば協力関係を築けるかについて考えてみましたが、今回の話は、その協力は一体何のためになされるかということに関わります。親が協力したいと思っても、子どもが協力を拒むということがあります。親子関係がよいといえるためには、この協力の目標が一致していなければなりません。
 息子がある日こんなことをいいました。
 「僕には僕の生き方がある。親に〔自分の生き方について〕何をいわれないといけないというのか。僕の人生を〔親に〕決めてほしくない。ごちゃごちゃと〔生き方について〕いわれたくない」
 子どもがこのようないい方をすることを子どもの反抗と見るか、それとも成長と見るかは、日頃の親子関係のあり方によって違うでしょうが、いつまでも幼いと思っていた子どもが、いつの日か自立したとを感じる日は必ずきますし、こなければ困ります。
 私はそんなつもりはなかったのですが、子どもに、知らない間に、生き方についての理想を話していたのかもしれません。親が子どもの人生について心配するのは当然と思われるでしょうが、一体、誰の人生なのかということを考えれば、親が子どもに歩んでほしいと思う人生と、子どもが自分で歩みたいと思う人生が違う時、いいかえれば、親の目標と子どもの目標が一致していない時に、どちらを優先するかははほとんど自明といっていいと思うのです。子どもの人生である以上、親といえども基本的にはそれに異議を唱えることはできないはずです。
 たしかに大人から見れば子どもは経験が少ないですから、子どもの目標選択に手出し、口出しをしたくなるという親の気持ちはわかります。失敗を未然に防ぎたいでしょう。しかし、私は致命的なことでなければ、失敗しないように親が先回りをすることは、子どもが自分で引き受けなければならない課題を大人が肩代わりをするという意味で甘やかしである、と考えています。このように子どもの人生に介入したくなるのは、失敗した時に、子どもが自らの力でその失敗の責任を取れないと大人が見なしているからであり、子どもを信頼も、尊敬もしていないからです。協力できないといっているのではありません。しかし、協力できるのは、前回見たように、あくまでも子どもからの援助の依頼があってのことなのです。
 ただし、目標は一度決めたからといって、ずっと同じでなければならないことはありません。必要があれば変更することは可能です。そのことは子どもに話しておいていいと思います。避けたいことは、子どもを追い詰めることです。自分の選択は間違っていたと思った時に、親の反対を振り切ってまで選んだことなのだから、と方向転換できないと子どもが思うことは、避けたいです。
 自分が自分の人生を選ぶということは、子どもにとっては厳しいことではあります。しかし、親から信頼されている、と感じられるような子どもは幸せとは思いませんか?
(『ぷろぽ』2007年12月号)

|

« 生きている水 | トップページ | 新しい時代 »

アドラー心理学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 生きている水 | トップページ | 新しい時代 »