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2008年9月22日 (月)

花衣

田辺聖子『花衣ぬぐやまつわる…―わが愛の杉田久女』 (集英社文庫)

 久女は才能がありながら、敬愛する師、高浜虚子から突如として「ホトトギス」を除名され、戦争の苦難をくぐり抜けるも、戦後間もなく、精神を病み、57歳で病院で亡くなっている。虚子は、除名以前からも虚子は句集を出版することを拒んでいた。
 残された虚子に出された手紙を見ると、師から仕打ちにもかかわらず、なお師を敬愛し続ける一方で、精神の均衡を崩したかのように見えるのだが、虚子は、この天才俳人に行ってきた非道をすべて久女の病気によって正当化しようとした。田辺聖子が指摘するように、久女の狂気が本当としても、だからといって、それだけで結社から追放する理由にはならない。虚子は、久女の力を無視できなかっただろう。
 死後、ようやく出版された久女の句集に、虚子はようやく序文を書いた。久女は戦争中もいつか出版することを願いながら、句稿の風呂敷包みを肌身離さず持ち歩いたが、もしも1945年の8月9日の朝、小倉の上空が雲に覆われていなければ、久女の原稿も久女自身もこの地上からいなくなっていたはずである(この日、小倉の代わりに長崎に原爆が投下されたのである)。
 その句稿を娘の昌子さんは丁寧に原稿用紙に清書して虚子に渡した。ところが虚子は、見もしていない久女の原稿を「全く句集の体を為さない、只乱雑に書き散らしたもの」だったと書く。久女狂気説を世間に印象づける必要があったようである。昌子さんは、虚子に宛てた手紙の中で「今から思ふと、急に更年期の頃から人柄が変わった母は病気でありました」と書いた。ところがこの手紙を「ホトトギス」で引いて虚子は次のように書く。
「この手紙にあるようにある年以来久女さんの態度にはまことに手がつけられぬものがあった。久女さんの俳句は天才的であって、ある時代のホトトギスの雑詠欄では特別に光り輝いていた。それがついには常軌を逸する用意なり、いわゆる手のつけられぬ人になってきた」
 田辺が、「昌子さんが、母を「わがままで手がつけられない」というのと、虚子が「常軌を逸して手がつけられない」というのはニュアンスが違う」と指摘するのは、正しい。手がつけられないから除名したといわんばかりである。病者であればなおさら、公の紙面で久女を完膚無きまで辱めることは、非人道的である。
 別の機会に中城ふみ子のことも書いてみたいと考えているが、二人が残した俳句、短歌ではなく、スキャンダラスな(という人もあるだろう)生き方にのみ注目するのはどうかと思う。

 鶴舞ふや日は金色の雲を得て 久女

 田辺によるこの書は小説ではなく、資料を読み解くことで従前の久女像を覆す見事な評論である。

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