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2008年9月18日 (木)

なぜこんな理不尽なことが

H.S.クシュナー『なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)』

 別の本を買うべく書店に行った時に、目に止まった本。もしも『アドラーに学ぶ』を脱稿する前に読んでいたら、僕の本の内容も少し違うものになったのではないかと思った。
 著者のクシュナーはラビ(ユダヤ教の教師)。幼い息子が後十余年の命と宣告された。理不尽と思えるこの不幸に直面したクシュナーは自分が信仰する神に問わないわけにいかない。なぜ息子がこのような目にあわなければならないのか、と。 
 自分が経験することでなくても、何の罪もない人がたまたまその場に居合わせたことで、暴漢に刺されるというようなことがどうして起こるのか、と考えなかった人はないのではないだろうか…この世に悪が存在することと、神の善にして全能なることとは両立しないのではないかという問いに、クシュナーは、神は悪の原因ではない、神は善だが、全能ではない、と考える。病気や不幸は、神が人を罰するために与えたものでもなく、神の遠大な計画の一部でもない。
「現状はこうなのだ。私は、これから何をなすべきなのだろうか」。
 人は、苦しみや過去に焦点を合わせた問い、即ち、なぜ、この私にこんなことが起こったのか、から脱却し、目を未来に向ける問いを発するべきだ、とクシュナーはいう。神は悲惨な出来事を防ぐことはない。しかし、不幸を乗り越える勇気と忍耐力を与えてくれる。この力を一体、神以外のどこから得られるか、と。
 R.D.レインが、自伝(『レイン わが半生』岩波書店)の中で、マルティン・ブーバーの次のようなエピソードを引いている。
 「ブーバーは講演台の向こう側に立って、人間の条件だとか、神だとか、アブラハムの契約だとかについて話をしていた、その時、急に、前にあった大きな重い聖書を両手でつかみ、できるだけ高い頭の上に持ち上げてから講演台の上に投げつけるように落とし、両腕を一杯に伸ばしたまま、こう絶叫した。「強制収容所でのあの大虐殺が起こってしまった今、この本が何の役に立つと言うのか!」ブーバーは、神がユダヤ人に対して行なったことに憤激していたのである。無理もない」
 同じユダヤ教のクシュナーは、しかし、ホロコーストについて神を責めないわけである。
 なお納得し切れたわけではない。

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コメント

勇気と忍耐力を持っていたいです。被害者という立場を手放すことができたら、もっと前向きになれるような気がします。

投稿: そらまめ | 2008年9月19日 (金) 21時56分

そらまめさん
 目を前に、未来に向けるのには勇気がいりますね。しかし、それしかない、と今は考えています。

投稿: 岸見一郎 | 2008年9月19日 (金) 22時05分

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