« 「がんばれ」だけが励ましではない−言葉かけのいろいろ | トップページ | 空に手をかざし »

2008年9月16日 (火)

子どもに「早く早く」という時

 息子が四歳の時バスを一緒に待ったことがある。「後、一時間しないとバスはこないのだけど」といったが、息子は「いいよ、待つから」といった。かくて五月とは思えないほどの初夏の強い日差しを浴びながら、バス停にすわりこんで次のバスがくるのを待った。急ぐことはなかった。時間が経つのをただゆっくり待てばよかった。
 ところが、朝、保育園に子どもを送って行く時はこんなふうにはいかなかった。「早く行こう」といっても、いうことをきこうとしない。力ずくで自転車に乗せようとしても激しい抵抗にあい、たとえ自転車に乗ったとしても暴れるので、途中で何度も自転車から降りなければならなかった。何が違うのだろうか。
 何よりも時間の制約がある。子どもを保育園に送りに行く時であれば、仕事に遅れるわけにはいかない。「早く」といって素直に従ってくれればいいのだが、事はそう簡単には運ばない。子どもは一向に急ぐそぶりを見せない。
 こうなると、親は冷静ではいられなくなる。次第にいらだちは募り、ついには子どもを大声で叱ってしまう。待てるのであれば、いらだつこともないし、子どもの方も意外にも親を待たせるようなことをしない。

子どものねらい
 子どもは、親が「早く早く」という時、時間に限りがあることを知っているのだろうか。もしも知らないのであれば、急ぐ必要があることを子どもに伝えれば従ってくれるかもしれない。しかし、子どもを急かせても急ぐそぶりを見せないのであれば、親が困ることを知っているからである。
 子どもにしても親に「早く早く」と叱られたらうれしくはないだろう。それにもかかわらず、子どもはあるねらいがあって親をいらだたせたり、怒らせているように見える。
 もしも叱ることが有効であるならば、次の日から子どもは悔い改めて、親が促さなくとも自発的に早い時間に用意をするようになるであろう。しかし実際には同じことが毎日繰り返される。それでも親は希望を捨てることはできない。もう少しきつく叱ったら子どもは悔い改めるのではないか、と思うからである。
 子どもの側から見れば、早くしなければ親に叱られるという形で注目されることを学ぶ。早く用意をしても親はそのことに対しては普通声をかけたりはしない。そうだとすれば、叱られたくはないけれども、何もいわれないよりは、急がないことで親を困らせ叱られることを選ぶと考えるのは自然である。
 親がこのような子どものねらいに気づかずに、「早く」といって叱りつけようものなら、子どもは親の注目を引くことに成功する。こうなると、叱っているにもかかわらず、親が「早く」といわずにはおられないような行動を子どもが止めないのではなく、叱るからこそいよいよそのような行動を止めないということになってしまう。

親ができること
 それではどうすればいいのだろうか。「早く」と感情的に子どもに声をかけてしまうような場面では、残念ながら親ができることはあまりない。せめて「早くしてくれませんか」と冷静に声をかければ、子どもが反発することを回避できるかもしれないが、実際にはそのような場面で親が冷静でいることはむずかしいであろう。
 むしろ、このようなことが起こる前にこそするべきことがある。叱らなければならないようなことを子どもがあえて行うことを予防することはできる。
 一つは、急がないことの結末が子どもにだけふりかかるようなことであれば、困るのは親ではなく子どもなので、初めから声をかけないでおこうと決めておくことである。習い事などの場合、時間になっても行こうとしなければ声をかけたくなるが、たとえ叱ることで親のいうとおりにしたとしても、自分で判断するのではなく、親を恐れて従っているというのでは困る。反発する子どもであれば毎日行く、行かないをめぐっていさかいが絶えることはないだろう。
 次に、親の都合で時間の制約がある場合は、子どもが急かさなくても行動した時にこそ声をかけることである。親は当たり前と思うかもしれないが、保育園に行く時間になっても好きなだけテレビを見たいと思ったかもしれないのに、その楽しみを中断し、親が仕事に間に合うよう保育園に行ってくれるとしたら、そのことに対して「ありがとう」「助かった」などと声をかけたい。そうすることで親の役に立てることを学んだ子どもは、わざわざ親に叱られるようなことはしなくていいことを学ぶだろう。

子どもに学んでほしいこと
 子どもに学んでほしいことがある。たしかに生活の場面で、子どもに早くしてほしい時がある。そのような時に、子どもに協力してほしいのである。
 そのために、子どもが親の願いをききいれてもいいと思えるような親子関係を築くことが、子どもを急かして叱らなくてもすむようにするために何よりも必要である。叱ることは親子関係を決してよくはしない。関係がよくなければ、子どもの側の協力が必要な時に協力してもらえないことになる。親に協力することが決して親に負けることではなく、家族に貢献することであることをわかってほしい。そうすることで貢献感をもってほしい。
 そのためには、普段からあらゆる場面での子どもの貢献に注目し、子どもの適切な行動に「ありがとう」「助かった」などの声をかけることで、子どもが自分が家庭において必要とされていることを実感できるように援助したいのである。
 子どもがそのように感じられるようになれば、やがて親は「早く」という言葉をもはや子どもに発していないことに気がつくことになるだろう。
(『児童心理』2004年6月号)

|

« 「がんばれ」だけが励ましではない−言葉かけのいろいろ | トップページ | 空に手をかざし »

アドラー心理学」カテゴリの記事

コメント

先生のお話は、「子どものねらい」「親ができること」「子どもに学んでほしいこと」ときちんと項目で分けられているし、実際どうすればよいのかが具体的に書かれているので、とても、わかりやすく有難いです。 

>普段からあらゆる場面での子どもの貢献に注目し、子どもの適切な行動に「ありがとう」「助かった」などの声をかけることで、子どもが自分が家庭において必要とされていることを実感できるように援助したいのである。

日々の自分の行動を点検したいと思います。

投稿: キューブ♪ | 2008年9月16日 (火) 22時12分

キューブ♪さん
 起こっていることを理解するためにどんなふうに考えていけばいいかの参考になればうれしいです。
 アドラー心理学は基本的に予防の心理学であると理解しています。何か問題が起こる前にできることがあるという意味です。

投稿: 岸見一郎 | 2008年9月16日 (火) 22時28分

『予防の心理学』なるほど。

アドラー心理学が、とても身近になった気がします。何かが起こる前にできることがあると知っているのは、とても心強いです。

投稿: キューブ♪ | 2008年9月18日 (木) 02時07分

キューブ♪さん
 もちろん、何かことが起こってからは、なかなか大変ですが、何もできないわけではありません。それでも、「予防」段階での関わりが重要です。(例えば)子どもたちに何かことを起こす必要を感じないでほしいのです。

投稿: 岸見一郎 | 2008年9月18日 (木) 07時21分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「がんばれ」だけが励ましではない−言葉かけのいろいろ | トップページ | 空に手をかざし »