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2008年9月20日 (土)

病めるときも〜貢献感をめぐって

 ある日の聖カタリナ高校での講義。ここでは僕の『アドラー心理学入門』をテキストにしている。この日は、どうすれば自分のことを好きになれるか、自分の価値を認められるかという話。そのためには、二つの方法があって、一つは、否定的に見られる性格を違う角度から見ることであり、もう一つは、自分が役に立てていると感じられることであるという説明をした後での講義。(  )は(複数の)学生の発言。

「……貢献感です。貢献ではなく、貢献<感>であることに注目してほしい。実際に、貢献しているということにすると難しい問題が出てきます。例えば、どうでしょう? 寝たきりの患者さんは、貢献感を持てると思います?」
(持てないでしょう…)
「ええ、でもだからこそ、看護師が、患者さんに貢献感を持てる援助をしてほしいのです」
(どうやって?)
「息子がいて、今、大学生だけど、小学生の時、寝る前に、「今日はありがとう」といった。「何かした?」とたずねたけど、そういうことではなくて、一緒に過ごせたことにありがとうといった。で、僕は、「そんなふうにいわれたらうれしい、ありがとう、」とまあなんとも奇妙な会話をしたことがあります」
(それは感動的な話)
「患者さんにもこんなふうにいえないだろうか」
<強い反応>

 この日は、この話に関連して、ほめないという話をしてみた。ほめることが上下関係を前提にしていることを、学生はすぐに理解してくれた。
「人生の大先輩は口には出してはいわないかもしれないけれど、内心、愉快ではないかもしれないですね。「おじいちゃん、えらい」とかいわないで。「ありがとう」っていいましょう」

 病気になってベッドの上で動けなくても、自分が役に立てていると感じるためには勇気がいる。どういう意味で勇気がいるのか。心筋梗塞で入院した時は、長い間、絶対安静を強いられた。寝返りも自分ではしてはいけなかった。ある日、思い当たった。私の世話をする人たちは、そのことで貢献感を持てるのではないか、ただまわりの人に迷惑をかけているのではない、と。こんなふうに考えていいものだろうか、と思った。その時、母の看病をしていた時のことを思い出した。たしかに大変だったが、大変だという思いだけで終始したわけではない。母に役立てているという実感はあった。入院している時に、僕の世話をする人に、そのように感じられている機会を提供していると考えてはいけないだろうか、と思ったのである(『アドラーに学ぶ』pp.80-1)。無論、自分についてこんなふうに思うことは容易ではなかったが、講義の中では患者さんが貢献感を持てる援助をしてほしいことを伝えてみた。

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コメント

まあ~私も生徒になりたい~!!
こんなお話を聞けるなんて、贅沢だわ~^^
あ~~~学生さんが本当にうらやましいです。

投稿: ぬらちゃん | 2008年9月20日 (土) 16時35分

ぬらちゃん
 おもしろそうでしょう? 学生(看護学生です)は40人ですが、こんなふうに書き留めたものを見ると、1対1で話しているようにも見えます。いつも関心を持ってもらえるわけにはいかないのですが。

投稿: 岸見一郎 | 2008年9月20日 (土) 19時29分

 なんとなく私は貢献感を感じるためには、具体的にある種の貢献(私が思うあれやこれや)ができないと感じてはいけないと思っていた節があるのですが、きまったものはなくて、一人づつが自由に感じてもいいのかな~と読んでいて思いました。以前、ひどいことを言う、言わないの「ひどいこと」の内容がどうであれ、「ひどいことはいわない」というようなことを知ったときも、内容そのものよりも、その姿勢が大事なんだ~と目からウロコだったのですが、今回も同じようなことを思いました。そういえば、以前、先生が幸福と幸福感は違う、といわれていたのを思い出しました。その時は、ここの場合と反対で、幸福感ではなくて幸福のほうが大切だというように受け取りました。私は幸福感を感じる人が幸福なのだ、と思っているのでよくわからないな~と思ったのですが、また、そのうち何かウロコが落ちる時が来るかもしれません。それまで忘れないでいることにします。

 

投稿: mari | 2008年9月21日 (日) 18時29分

mariさん
 貢献については微妙な議論が必要です。一人ずつが自由に感じていいというのは少し違うのですが、本のページ数をあげておきましたので、読んでみて下さい。甘やかされた子どもは何もしなくてもいいのか、と誤解するかもしれません。ここでは動くこともままならぬ病気の人についていっています。その状態で何かができないと貢献したことにならないとなると誰も貢献できないことになってしまいます。

投稿: 岸見一郎 | 2008年9月21日 (日) 20時37分

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