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2008年9月22日 (月)

裁判員制度をめぐって

西野嘉一『裁判員制度の正体 (講談社現代新書)』

 裁判員制度の施行日を来年の5月21日に決まったが、あまりこの制度をめぐっての議論がされていないように見える。実のところ、僕もこの本を読んで初めて裁判員制度の問題を知った。施行後、問題があれば見直されるということだが、その間、裁かれた人、ことに死刑判決を受けた人には、この制度は間違っていました、ではすまないだろう。
 裁判員に選ばれ、仕事を休むということがどれほど困難なことであるかをこの制度を導入した人は知らないように見える。日本人は働き過ぎだから、これを機会に仕事を休むのはいいことだ、という意見の人がいる。丸田隆は、裁判員に選ばれたが、引き受けられない時はどうするかということを書いたくだりで、例えば、家族で豆腐屋をしている自営業の場合について、こんなふうに書いているのである。
「三六五日間で一日も休まず豆腐をつくることも立派だが、家族の重要なメンバーが裁判員に選ばれたので、それを機会に店を、三、四日閉めるということも、働きすぎる日本人にとってはいいことではないだろうか」(『裁判員制度』平凡社新書、p.175)
 誰も「働きすぎ」を望んではいない。店を閉めて、それで店がつぶれたら、一体誰が責任を取ってくれるというのか。実際、一度や二度で裁判が終わるはずはない。朝日新聞の記事によれば、裁判員が参加する重大事件の7割は3日以内で終わる見込みであるというたった3日で決まるという。それでは、後の3割は一体どれくらいかかるかは書いてなかった。もしも裁判員の負担を考えて、実際には長くかかるはずの事件について短期に終わらせるとするのなら裁判の手抜きをするしかないのではないか。そもそも裁判はレクリエーションではない。
 しかも裁判員が参加する裁判は重大事件ばかりである。凄惨な殺人の現場写真を見たいと思わないし、人を裁きたくもない。そのような信条を持った人が、裁判員にならなければならないとすれば、思想および良心はこれを犯してはならないとする憲法にも違反することになる。
 また、裁判員として的確かどうかを調べるられる、プライバシーはなくなる。西野は裁判所からの呼び出し状を「現代の赤紙」と呼ぶ。断れば罰則がつく。守秘義務もある。一体、専門家でもない人が裁判に関われるのか。本書での議論は、裁判員制度施行以前なので、当然、推測の域を出ない議論が多いと見る人もあるだろうが、施行されてからでは遅すぎるように思った。

 裁判員制度の問題は、それに参加する国民の負担などがクローズアップされ、裁判の間子どもを預けるための制度を整えるというような話になってしまうが、一番の問題は、法律の知識のない非専門家が法令に基づかない裁判をすることによって人権が消滅するところにある。最高裁判所のページにはたしかに使ってあるのだが、「感覚」によって、「こんな極悪人は死刑!」と量刑の決断はできても、それは法令に基づく死刑ではない。刑法は、犯罪者が法に定められていない罰を受けることがないようにするという意味でも必要なのだが、裁判員は法律の知識がない。法律の知識がないのに裁判員になれるのか。
 最高裁判所は、法律の知識は必要でないと明言しているのである。最高裁判所の裁判員制度Q&Aのページには次のように書いてある。

● 法律の専門家でない国民が加わると,裁判の質が落ちたり,信頼が損なわれたりしないでしょうか。
 そのようなことはありません。
 法律的な判断はこれまでどおり裁判官が行いますし,必要な場合には裁判員のみなさんにもご説明します。
  裁判員のみなさんには,「事実認定」と「量刑」について判断していただきます。これについては,法律的な知識は必要ありません(「法律を知らなくても判断することはできるのですか。」のQ&Aを参照してください)。
さまざまな人生経験を持つ裁判員と裁判官が議論することで,これまで以上に多角的で深みのある裁判になることが期待されます。 

●法律を知らなくても判断することはできるのですか。
 裁判員は,事実があったかなかったかを判断します。裁判員の仕事に必要な『法律に関する知識』や『刑事裁判の手続』については,裁判官が丁寧にご説明します。
皆さんも日常生活の中で,何らかの根拠から事実があったかどうかを判断することがあると思います。
 例えば,壁にらくがきを見つけたお母さんが,このいたずらは兄と弟のどちらがやったのかと考える場合,「こんなに高いところには弟は背が届かないな。」とか,「このらくがきの字は弟の字だな。」とか,らくがきを見てどちらがやったのかを考えると思います。
 刑事裁判でも証言を聞いたり,書類を読んだりしながら,事実があったかなかったかの判断をしていくので,日常の生活で行っていることと同じことをしていると言えます。
(引用終わり)
 子どもの落書きと同列に論じられるのだろうか。そんな簡単なことではない。
 殺人罪の要件は、人を殺すことだが、例えば、脳死状態の人を窒息死させたら、これは殺人罪に問えるのか。脳死状態の人は「人」なのか、どうか。こういうことが法律では問題にされる。こういう説明を裁判官が「丁寧にご説明」し、裁判員は、なるほど、と納得するのが裁判員制度なのか。あるいは、何をややこしいことをいっているんだ、だから法律はきらいなんだ、脳死だろうとなんだろうと人を殺したに変わりはないのだ、死刑だ、というようなことにはならないだろうか。
 鳩山元法務大臣が着ぐるみを見て裁判員制度の宣伝をしているのを見た。こんなことで、裁判員制度が支持されるようになると国が考えているのだろうか。

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コメント

突然のコメント失礼致します。
勝手ながら私どものサイトからこの記事へリンクをさせていただきました。
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現在のページからのリンクは一定期間の予定ですが、よろしくお願い致します。
(自動書込のため、不適切なコメントとなっていましたら申し訳ございません)
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投稿: sirube | 2008年9月22日 (月) 16時24分

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