« 空から妖精 | トップページ | 行く夏 »

2008年8月31日 (日)

子どもを援助するために

【『ぷろぽ』という中学受験の情報誌に2006年の7月から「アドラー心理学入門」と題して毎回原稿用紙にして3枚分のコラムを連載しています。受験生の親が読むであろうような雑誌に勉強は子どもの課題であるというようなことを書くことには勇気がいりました。連載は続いています。不定期で過去のコラムを掲載します。】

子どもを援助するために(『ぷろぽ』2006年7月号)

 子どもを援助しようと思わない親はいないでしょう。親の目から見て子どもの考えていることやしていることは幼く、危なっかしく見えるものです。
 ところが親としては子どもを援助するつもりでも、子どもがただうるさいこと、煩わしいこととしか受け止めないことがあります。そのことでかえって子どもとの関係を損ねてしまい、本当に親が子どものために動かないといけない時に、子どもに援助の手が届かないということが起こってしまいます。
 そこで子どもを援助できるためには、まず、その適切な方法を知る必要があります。次に、援助が有効なものとなるためには、親子関係がよくなければ、子どもを援助しようとする働きかけに子どもが反発するということがあります。
 ところで、そもそも子どもの勉強を援助できるのでしょうか? もしも子どもが勉強しないとすれば、そのことの結末は誰にふりかかるでしょうか? 誰が困るでしょう? このようにたずねると質問の意図を理解した多くの親は「子どもです」と自信なさげに答えられます。自信たっぷりに「親です」と答えられると私は困ってしまうのですが、正直なところ、親が困るのだと考えている方もあるかもしれません。しかし、子どもは親のために勉強しているのではありません。かつて私たちが子どもだった頃、親のために勉強しているとは思わなかったのではないでしょうか?
 このように結末が子どもにふりかかるとすれば、勉強は子どもの課題であるというふうに私はいっています。もしも勉強が子どもの課題であるならば、残念ながら親が子どもの課題に踏み込むことはできません。大人も、他人に自分のことについてあれこれいわれたら嫌な気持ちがするでしょう。親は子どもに勉強をしてほしいと思うあまり、子どもに「勉強した?」とか「早く勉強しなさい」と声をかけてしまいますが、勉強は子どもの課題なのですから、そんなふうに声をかけることは本来できないのです。もしも親が子どもを信頼し、勉強のことは子どもに任せるという勇気があれば、もう親は何もしなくてもいいといってもいいのです。実際、私は子どもに一度も「勉強しなさい」という言葉をかけたことはありません。
 しかし、そんなわけにはいかないのだ、うちの子どもは放っておいたら勉強しないといわれるのであれば、親と子どもの共同の課題にする手続きを踏みましょう。最近あまり勉強しているようには見えないけど、そのことについて話をしてもいいだろうか、というふうにです。しかし、このようにいっても子どもが親からの働きかけを拒否すれば、残念ながら親としてはできることはありません。子どもとて勉強しなくてはと思っているでしょう。そのような子どもに勉強しなさいと正論を突きつければ、子どもが勉強することを止めてしまうこともあります。子どもの面子をつぶしてはいけません。
 他方、もしも子どもが援助を依頼してきたらどうしましょうか? その場合も子どもが頼んでいないことまで援助していいわけではありませんし、子どもの勇気をくじかないように声をかけなければなりません。このことについては次回、考えてみます。

|

« 空から妖精 | トップページ | 行く夏 »

アドラー心理学」カテゴリの記事

コメント

 「アドラー心理学講演会 ブログ版」に参加し、聴講しているようです。これからも楽しみにしています。

投稿: フィン・カ・ビヒア | 2008年8月31日 (日) 01時06分

 一度に原稿用紙三枚ですから、書き始めたら、終わり、という感じで、ずいぶん無理に凝縮しています。受験生をお持ちの方には耳障りなことがたくさん書いてあるという印象を持たれるかもしれません。

投稿: 岸見一郎 | 2008年8月31日 (日) 01時14分

岸見先生

はじめまして。
最近パセージを受けて、
アドラー心理学を勉強し始めました。
6歳の男の子と2歳の女の子のママです。

岸見先生のお写真はいつも息をのむように美しいですね。

「子どもの課題に踏み込まない。」

このことを知って、
私は自分がいかに子どもの課題に踏み込んでいたかを知り、
これを実行したことで、とても楽になりました。

でも
課題の肩代わりをせずに、援助する。。。
というのが難しくて、
援助したつもりだったのに、
結果的に子どもの課題に踏み込んでしまっていたり。。。と
失敗しています。^^;

受験生をお持ちの方が、
岸見先生のお話しを読んで、ハッと気づかれる方も多いと思います。^^
たくさんの人に読んでもらえたらいいな~と思います。

投稿: ぬらちゃん | 2008年8月31日 (日) 06時33分

 確かにアドラー心理学をご存じない方のなかには耳障りと感じる方もおられるかもしれませんが、「?」や「!」と思われて、そこからアドラー心理学に興味を持つ方もおられるかもしれません。
 そして、本を読んだり、パセージを受けたときに「あの時に読んだ(岸見さんの文は)、このことだったんだ!」って気づかれるのではないでしょうか。

投稿: フィン・カ・ビヒア | 2008年8月31日 (日) 08時29分

ぬらちゃん
 援助するのがいけないというわけではなく、むしろ、子どもたちは大人の援助を必要とすることが多いのですが、大人があまり上手ではない仕方で介入しようとして結果的に子どもが本当に援助が必要な時に何もできないことを残念に思うことがあります。
 援助の依頼があったら手伝うことはありましたが、その場合でも、子どもの課題が子どもの課題でなくなることはないというところは、押さえておきたいのです。

投稿: 岸見一郎 | 2008年8月31日 (日) 12時21分

フィン・カ・ビヒアさん
 すぐに納得される時、実際にはよく理解されていないことは多いように思います。大いに抵抗してほしいくらいです。それはおかしい、と。

投稿: 岸見一郎 | 2008年8月31日 (日) 12時23分

 抵抗を感じてもいいのですか??
 たとえば、学んでいく中で。

投稿: フィン・カ・ビヒア | 2008年8月31日 (日) 19時48分

 いいとかわるいとかではなくて、どんなことを学んでいく時も、納得できなければいつまでもこだわるのが当然でしょうし、わかったと思っても、わかっていないことはよくあるように思います。終わりはありません。

投稿: 岸見一郎 | 2008年8月31日 (日) 19時58分

終わりはないかもしれません。しかし、他人と協力し合う必要があるとするならば、目指す方向は見えると考えられます。

と、言う解釈でいいのでしょうか・・・

投稿: 藤木 | 2015年1月20日 (火) 20時42分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 空から妖精 | トップページ | 行く夏 »