2009年7月 6日 (月)

電車の中で走るように

 今日は僕の受診日。前日から妹が泊まりにきてくれて、その間、父を見てくれた。おかげで安心して診察に臨むことができた。採血の結果は良好で安堵した。LDLが引き続き下がる。最近、頻繁に夜中に目が覚め、よく眠れないことが続いたが、リバロ、ゼチーアとは関係がないだろうということだった。疲れているのに眠れないのはつらい。
 エアコンが故障したのに、完全に故障するまで使え、とマンションの管理会社が妙なことをいうので抗議したら(29日)取り換えてもらえることになった。ところがこの決定が出たのがようやく7月2日で、翌日3日に今使っているエアコンの型番を伝える。その後、音沙汰がなく、今日になってようやく「立て込んでいるので」来週の(!)火曜(14日)の午前にしか工事ができないという連絡があった。僕は昨夜「本当に」動かなくなったということ、火曜日の午前といわれてもいないということ、土曜、日曜のいずれにしか在室しないということを告げたら、再調整するということになった。エアコンがないと苦しい。勝手に換えるわけにいかない。今ならどこの店でも即日工事してもらえると思うのだが。酸素が足りない魚のような感じである。
 こんなことも含めて心が散漫になってしまっていけない。電車の中で走るように、というべきか。

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2009年7月 5日 (日)

哀しい

 昨日は昼から妻に代わってもらって、まず故障しているプリンターの修理を試みたが、機械的故障で直すことはできないことがわかった。かなり酷使したのでやむをえないとも思うが(修理費は新しいものを買うよりは安いとはいえ、修理費はかなり高いし即日修理完了ということにはならないだろう)、一から設定をするのはめんどうだと思ってしまう。
 めんどうといえば同じほどめんどうなのだが、昨日、一年悩んだすえiPhoneを買った。携帯会社を変えることに抵抗があったのと、番号を変えずに移行する事務手続きが煩瑣そうなので二の足を踏んでいた。後者については、販売店で電話をするだけでできることがわかり、それなら、とメールアドレスが変更になることに目をつぶり、この機会に変える気になってしまった。アドレスなどを携帯電話から移行するのは、普通の携帯同士のように簡単ではなかったが、これもあまり問題なくできた。病気になって以来、携帯電話を使う機会も激減したので、両手で数えられるくらいの人のアドレスで一人一人入力してもよかったのだが、思いがけずこれは今使っているMac(MacBook Air)とはコンセプトの違う、コンピュータであることがわかり、携帯電話を買った時の興奮と、コンピュータを買った時の興奮が同時に起こったのか、夜遅くまで眠れなかった。
 ところで明日今度は父ではなく僕が受診する。その間、父を一人で待たせるわけにいかず、今回は妹にその間父をみてもらうことにした。僕なら歩いても15分でこられるが、妹はそういうわけにもいかず、今夜から泊まりがけできてくれる。その妹のことが誰か父はわからない。それでも僕たちの父であることに変わりがないのはいうまでもない。この頃そういうことがわからなくてなあ、と父は笑うが、僕は笑えない。

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2009年7月 3日 (金)

天を仰ぐ

fly to the sun ...

 今日は聖カタリナ高校で講義。残りが少なくなってきた。講義を先に進む必要もあるが、質問がたくさんあってそれに答えることを優先している。教科書があるのだから(『アドラー心理学入門』)それを読んでおいてください、と学生にはいっているが読んでくれているかどうか確かめたことはない。
 10月から姫路に教えに行くことになっているが、父のことで慌ただしくしていて講義の日程が決まっていたかわからない。確認して、それに向けて父の看護、介護計画を立てなければならない。その日、デイサービスを利用しなければ父をおいて遠方まで講義には行けない。問題は父が行くことに同意してくれるかということ。もっと介護認定の度合いが上の方も利用されているということなのだが。明らかに僕の都合のために父に無理を強いるようで悩んでしまうのだが。
 過日、講演依頼があったが、父の介護を理由に断らなければならなかった。講演開始時間を変更してまで話を聞きたいと再度の依頼があり、ありがたかった。
 写真はベニシジミ。天を仰いでいるように見えるこの蝶が好きで、何枚も撮ってきた。
 
 ティム・オブライエンの『世界のすべての七月』(村上春樹訳、文春文庫)を半分ほど読む。ベトナム戦争がアメリカに残したものが、30年ぶりに開かれた同窓会に集う男女の人生になお色濃く影を落としている。彼〔女〕らは皆幸福には見えない。しかし、そのことがすべて戦争に責めを帰することができるかというとそうはいえないだろう。
 同じオブライエンの『本当の戦争の話をしよう』(村上春樹訳、文春文庫)を前に読んだ。好戦の話も、反戦の話もないが、夢中になって読み耽った。
「結局のところ、言うまでもないことだが、本当の戦争の話というのは戦争についての話ではない」(p.140)

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2009年7月 2日 (木)

あの頃と同じではない

going against the stream ...

 昨夜来の雨で、朝父の家に行ったら一箇所雨漏りがした跡があった。川は増水していた。前日撮った百合は強い雨に打たれてむざんなことになっていた。
 今日は訪問看護実習に去年教えていた学生が看護師さんに同行してきた。「この学生さんは息子さんが教えてられたのですよ」と看護師さんがいうと、父はほぉと笑顔になった。去年、教えていた時には(4月から7月まで教えていた)父が帰ってくるという話はまったくなかったので、こんな形で再会するとは思ってもいなかった。
 父と今のように二人で暮らしていた頃の話をした。あの頃はいつも息詰まるような緊張が続いた。今、父のために食事を用意しているが、時間をかけないが、あの頃はカレー粉を炒めてカレーライスを作るというようなことをしていた。父にはまったく受けなかったが。それを思えば、今は父は食事を出すと「ありがとう」という。変わってないのは僕だけ。

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2009年7月 1日 (水)

いつも手遅れか

melancholic sunshine ...

 父の日のプレゼントのつもりでふと思いついて買った鉢植えのハイビスカスが一日おきに大きな花を一輪咲かせる。今日は初めて二日続きで花が咲いた。この写真は28日の夕方に撮った。西日が差し込んでくると、二階は暑い。
 朝、行くと父はもう着替えて待っていた。「いらっしゃい」というので驚く。今はおはようではないか、というと朝だとは思ってなかった。昨日病院へ行ったので疲れたのだろう、ぐっすり眠れたようだ。
 疲れたのは父だけではない。父が昼食後寝に行った後で、僕はソファに横になった。まだそれからほとんど時間が経ってない時に、父のすり足が聞こえてきた(この頃はこんなふうにしか歩けない)。父は僕を見て「起きなくていい。寝ていたらいい」といってくれるのだが、そして、それは間違いなく父の優しさなのだが、本当は、帰ってもいいといってほしい僕がいる。
 「昼ご飯食べたかな」とたずねる。もうこの質問には驚かなくなった。「僕にはご飯のことしか話してくれないなあ」というと哄笑する。いつも空腹を感じているようだ。「いや、実際のところ、夕食を食べないで寝ることはあるんだ」と真顔でいう。もちろん、そんなことは<決して>ない。
 父が物忘れがひどくなったと訴え始めたのはいつだっただろうか。僕は本の中でこのことについて書いたことがあった。その時、年がいけば誰にでもある物忘れではなかったのかもしれない。49歳で死んだ母の時も、脳梗塞について知識がまったくなかった。あの時と同じ後悔の念にとらわれている。もちろん、早く手を打てばなんとかなったかは今となってはわからないのだが、一人で暮らしてために気づかなかったトラブルを回避できたかもしれない。

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2009年6月30日 (火)

声をかけられなかった

 今日は父を連れて病院を受診。予約してあっても、採血などの検査があるので早く行かなければならないし、父は病院に行くといったらもう待ちきれないのである。家にいても、病院で待っていても同じということにして、予定していた時間より早く出かけた。
 よくはなっていないが、減らせることができた薬もあり、入院ということにもならずよかった。脱水状態にならないようにという注意を受ける。昼間は父といるのでお茶などを飲むように勧めることができるが、夜は飲んでいない。入院した時に水分制限が課せられたことをいつまでも父は覚えていており、その記憶はリセットできない。今日も「水は飲んでいいのですか?」と驚いた表情で主治医にたずねていた。
 採血を待っている時に、聞いたことがある名前を耳にした。35年ほど前に教えを受けた先生の名前だった。その頃はおそらくは30歳くらいではなかったかと思う。不幸にして二年も教えてもらったのにその先生の教えてる教科が好きになれなかった。当時の先生の話し方まで覚えている。その時の面影と今の姿が一致するまでにはしばらく時間がかかったが、人間違いではない、と確信した。
 やがて父の名前が呼ばれた。先生の横に並んで採血をする形になった。父の名前を聞いて、表情がわずかに、しかし、たしかに動いた。そして、最初に父の、次に僕の顔を眺める視線を感じた。名字がめずらしいからか、ふいに古い記憶を呼び覚ましたのかもしれない。しかし、結局、はっきりとは思い出されなかったように見えた。声をかけるべきだったのだろうな、と後で思ったが、車椅子に父を乗せて検査をいくつも受けるという状況では緊張していて、気持ちに余裕がなかった。それでも、声をかけられないわけではなかっただろうに。それを思いとどまらせる何かがあった。
 本を読んだり、原稿を書くことは、今の僕には少しも苦痛ではない。

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2009年6月29日 (月)

もう何でもできる

 父が前に住んでいた家から持ってきた洗濯機があるのだが大きすぎて設置することができず、長らくそのままにしていたのだが、やっと今日僕が今住んでいるマンションで使うべく運んだ。父の家で毎日選択しているが、乾燥機はないので、これからの季節は持ち帰って洗濯、乾燥した上で運ぶことになるかもしれない。
 今、書こうとしたのはそのことではなく、なぜ父はこんなに大きな洗濯機を買ったのかということである。もはや判断力を失っていたかもしれない父は近所の電気屋のいうがままに高価なものを次々に買わされた。独居だったので、一々吟味することはできなかった。老人を食い物にする業者がいるわけである。
 父がいつか濡らしてしまったパジャマをさして「洗濯する」というので、それは違うだろう、といったら、「洗濯してください」というので二人で笑ってしまった。父は今は、掃除も洗濯も買い物も料理も何もできない。それでも、私は自分では何でもできると思っている、といって驚かせた。誇り高い父にとって、できないことはつらいのだろう。
 二週間ほど続けて父は体調が悪く、その間、日に何度も父の下の世話をした(父は幸か不幸かそのことを覚えていないわけだが)おかげで、もう何でもできる、と思った。それに伴って、この頃は少し気持ちに余裕ができたのか、僕は父のことでイライラすることは少なくなり、父も笑うことが増えてきた。

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止めないし

praying for rain ...

 少し雨が降り、この数日を思うとしのぎやすいが、天気予報がいうように昼から雷雨になるのかどうか。義父が昨日屋根を直しにきてくれた。びわの枝が屋根をこすり、瓦が三枚落ちてしまい、そのため雨漏りがするからである。明日から雨が降るというから、今日のうちに、と義父はいう。僕の父よりずっと年上で、父に「年に負けたらあかん」という元気な人ではあるが、炎天下、屋根に登るというので心配でならなかった。もっともこれが初めてのことではない。父が戻ってきたこの家は長く住んでいなかったが週末毎に義父母がきて風を通し、修理をし、いつでも住めるようにしてもらっていた。
 吉村昭の『死顔』が文庫になったことを知り(新潮文庫)、読んでみた。この作家については何も知らなかったのだが、去年の今頃、肺癌で亡くなった弟について書かれた『冷たい夏、熱い夏』(新潮文庫)をはじめ、何冊か読んでみた。ちょうど僕が心筋梗塞で倒れ退院してしばらくして亡くなった。病院では毎日訃報ばかり読んでいた。何歳でどんな病気でなくなったかということに関心があった。遺作となった『死顔』は、延命を拒んで亡くなった著者の死生観が如実に反映されている。
 昼食後、コーヒーを入れる。お湯を沸かしていることを知らなかった父は寝てくる、というので、残念だな、コーヒーを入れようと思ってたんだが、止めないし、といったら大きな声で笑う。

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2009年6月28日 (日)

理由は要らない

 昨夜は8時頃に寝てしまい、おかげで夜が長いことを実感することができた。常は父のところで思うように仕事ができないので、続きを帰ってからすると寝るのが遅くなってしまうのだが。
 自転車のタイヤに空気が入らなくなってしまい、このところ自転車に乗らずに歩いて父のところにきて帰っていたが、さすがに日中こう暑いと昼間に用事ができて出ていく時に影一つない田んぼの中に通った道を歩くのは危険なので修理を依頼した。電話をすると自転車を取りにきてもらえるので助かった。気をつけていたつもりなのだが、空気があまり入っていない状態で乗っていたので、タイヤの中のチューブが傷だらけになっていたようだ。前の籠に毎日重い荷物(本)を載せるのが問題なのかもしれない。
 学生たちはダイエットの方法をしばしば講義の時に質問するが、僕はといえば、体重が増えることはない。食欲が落ちているというようなことはないのだが。

 目下、金曜日に講義のために出かけている。ヘルパーさんがこられるまでに二時間ほど父は一人でいなければならないが、同じように他の日も過ごせないわけではないはずなのにそうすることができないことにはわけがある。
 要は、仕事があるという理由は、親を一人にすることを正当化するために必要なのである。
 親との関係がうまくいかないと感じること、親を前にするとイライラする、怒ってしまうということも、親から離れることを正当化する感情であろう。親のところへ行くと思うと気が滅入るというのも同じである。そのようなイライラ、怒り、憂鬱などの感情が起こるので、親のところへ行けないというのではない。反対に、親のところへ行きたくないという目的が先にあって、その目的を達成するために、これらの感情を創り出していると考える方が事態をよりよく理解できるように思う。
 どうすればいいのか(もちろん、ここでは離れていることが少しの時間であれば可能な状態に親がいるということを前提とした話である)。親から離れているために、理由は持ち出さなければいい。
 つまり、怒りなどを感じなくても、ただ離れる。仕事を理由にしなくても、ただ離れるということである。
 父がこちらに帰ってからまだ間もない頃に、母の介護を十年続けた絵本作家の言葉を落合恵子が引いているのが目に止まり『母に歌う子守歌』朝日文庫、pp.76-7、日記に引用したことを思い出した。
 「あの夜、わたしは駅前の喫茶店でコーヒーを飲んだの」
 母親は待っている。でも、このまま帰りたくない、と思った。
 「でも、あの夜のわたしはどうしてもコーヒーを一杯ゆっくり飲んでから、帰りたかったの。どうしてもどうしてもそうしたかったの。あのまま家に直行するのはいやだったの。……まだ帰りたくないという、わたしの気持ちが通じたのかしら、娘をこんなにも疲れさせてはいけないと思ったのかしら、母は翌朝早くに亡くなった…」
 落合はこう語る彼女に「そんなにご自分を責めないで」としかいえなかったという。
 コーヒーを飲み家に直行しなかった翌朝に亡くなられたので、この時のことが強くこの絵本作家の印象に残っているのだろう。先に書いたことと関連していうと、親から離れる時には理由はいらないし、ここでいわれているように家に直行しないでコーヒーを飲むことに特別の思い入れをする必要はないと今は考えている。
 コーヒーを飲んでから帰ったことと翌朝亡くなられたことには因果関係はない。昔、母が死んだ時、病院に寝泊まりしていた。後、こんなことが一週間続いたら、僕の身体がもたないと思った矢先に母は死んだ。そのことで長く自分を責めたが、今はそんなふうに思う必要はまったくないと思えるようになった。

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2009年6月27日 (土)

安心

fancies flittering through my mind ...

 今日は聖カタリナ高校で講義。朝いつものように父のところに行って、食事の用意をし、服薬を確認した後出かける。もっとも時間に余裕があるので、ポータブルトイレの掃除をしたりもする。いつもと服が違うので、父はどこか出かけるのか、とたずねる。「11時にヘルパーさんがこられます、1時に帰ります」というメモを必ず置いておく。これを見たら父は安心する。
 東京の息子から電話。大学院進学が決まった。これでまた帰ってこられなくなった。残念だがしかたない。

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